一度ならずと心臓止まりし九十六の父その床に駆けつくればサンキューベリマッチと言う
ユアウェルカムと答えしが顔色伺えば僅かに唇の端上に曲がりぬ
息子である我孫の名で呼びしが最後まで分からず嘘か誠か
握りあいし右手思いの外力こもりて病状如何に関わらず魂の健やかなる伝わりたり
今日の短歌
今日の短歌
舗装路にサージカルマスク毀たれてあり轢かれ乾いた蟷螂に似て
機嫌の悪い時は鬱陶しい機嫌の良い時は煩わしいそう思われているらしい
絶対にゴハンと言っている他人にはニャオンと聞こえるとしても目が言っている
ジジもおっきいねと言った特大のジャガイモピーラーで皮を剥くうんと厚めに
テーブルの上につまようじが二本折れている夜遅いのに大きな声で喧嘩した
もう一つだけ作って寝よう雨の夜クズ野菜で出汁をとった味噌汁が旨いから
今日の短歌
五センチの四角い写真に写りし黒犬の如われもうなだれん日曜の朝
失礼ながら掛かりきし電話の主の名前見てそっと閉じたりスマホの画面
呆れるほどコンプリートめざす息子のゲームその度に減る我がピンチヒッターの場面
伸び伸びて括れるところまできたうしろ毛は若かりし時よりてっぺんの薄くなりて

アレを盛る器
アレを盛る器
それはなんだっていいんです
好きなのを選べは
言葉でも
音色でも
リズムでも
動きでも
ただし
アレが入ってないといけません
上手いとか
下手とか
技術とか
気合とか
いろいろ言うけど
アレさえこもってたら
なんとでもなります
でも
その込め方は
盛り方は
誰も教えられないんです
教わるもんじゃないんです
ああだこうだといじくったら
入るってもんでもないし
何もしなくても
溢れるように
こぼれるように
盛ることもできます
一流のプロだって
四苦八苦するし
ど素人があっさり
溢れさせることもある
やってみるしかないんです
やってみたら
わかります
難しさも
あっさり加減も
苦しいっちゃ苦しいし
楽しいっちゃ楽しいよ
今日の短歌
それを持っていないと技巧派になる言葉の束への生命(いのち)の込め方
他人様(ひとさま)の心を動かそうなんて思ってもないただ呻いているだけ
決めましたぶっつけのまま姿を晒すと生きてきたのとおんなじように
丸ごとが分からないのは同じです分けて見る目に詩(うた)も牛車(ぎっしゃ)も
真実
真実ってやつを話してやろうか
まるで写真のネガポジのように
内側は外側で外側は内側なんだ
僕という内側が世界という外側を
ぐるっと囲んでのぞき込んでいる
本当は僕が外側で世界が内側なんだ
僕の目は世界という内側をのぞき込むノゾキメガネ
僕の手は箱庭のように世界を生み出す神の手
僕という虚空には何もないし
君という虚空にも何もない
僕らは本当はひとりなんだけど
名前も体も何もないひとり
ただこの世界で出会って
お互いを別々だと思ってる
右手で右手を握れないように
僕は僕を抱きしめられない
君も君を抱きしめられない
二人は虚空のひとりだから
この世界で出会って
やっと自分を抱きしめられる
天井裏のゲコー
かつてはその薄暗い世界に
何年も何十年も
平穏な日々の続くゲコーの村があった
寡黙なゲコーたちは
薄くそしてはるかな時空を隔てて
明るい世界に暮らす
穏やかなニンゲンたちを見下ろしていた
ゲコーたちは
設けられた境界を越えず
薄暗い世界に
永く永く永遠と思える時を
ニンゲンたちを見守りながら
平和に過ごしてきたのだ
ある時明るい世界に別の住人がやってきた
開拓の意志に燃える男とその子は
神聖な境界を物ともせず
自動機械と耳をつんざく雷鳴を駆使して
薄暗い世界に光をとどかせた
眩い光と共に
丸く輝く二つの眼と鋭い爪を持った無慈悲の獣が
ゲコーたちの村を蹂躙したのだった
男とその子は
自分たちの犯した罪を知らなかった
その薄暗い世界に
どれほどの安らぎと平穏が満ち満ちていたかを知らなかった
今では白い抜け殻の遺跡となったその平和な村で
ゲコーは生きてきたのだ
永遠と思える長い時間を
静かに満ち足りて
家の守神として