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 2020年8月9日
 判断の難しい局面がやってきた。
 コロナ禍の第二波だ。
 
 一回目の時は、二月から息子の弦を自主的に施設に行かないようにさせた。ほぼ四ヶ月、彼は家にいた。
 その自主的な「ステイホーム」は迷いのない、自然で余裕のある行動だった。僕たちはいわば「予定通りに」実社会の本流から一時的に「撤退」し、家に「篭城」したのだ。
 
 しかし、それは「外部」からのウィルスの侵入を防ぐための行動ではなかった。未知の「恐ろしいウィルス」を怖がってしたことではなかった。
 僕は「感染症としてのコロナ」をそれほど「怖い」とは思っていない。
 世間の人がやたら「怖がっている」のが不思議だし、不必要な殺菌や「予防措置」は実際「不必要」だと思っているし、却って、感染を招く状態につながると考えている。
 僕にとっての「予防措置」はこれまでの習慣を続けることだし、あるいはそれをより徹底させることだった。
 
 僕個人の日常的な健康に関する習慣は世間の人とは随分違っているのかもしれない。
 ・薬は全くと言っていいほど飲まない。「病気」は必要があって現れるものだから、うまく経過させることが大切だと考えている。
 ・よほど脂ぎったり汚れたりしない限り、石鹸は使わない。
 ・一日一食か二食で朝食は摂らない。
 ・やや小麦不耐性があるので、小麦を使った食品を極力食べない。いわゆるグルテンフリーだ。
 ・肉、魚、乳製品、卵などもほとんど食べない。ヴィーガンに近い。
 ・調味料類も自然のものに限るし、砂糖やみりんも使わない。
 ずっとそういうやり方でほぼ三十年やってきた。それ以前はもっと厳しい食事制限をしていた時期もある。
 だから、マスクはあくまで世間に向けてのパフォーマンスでつけているだけだ。手のアルコール消毒はそこにいる常在菌を殺して、ミクロの共生環境のバランスを崩す愚行だと思っている。
 塾の教室の入り口にアルコールを置いているが、自分では使ったことがない。
 今回、病院の医師や看護師に罹患する人が多いという情報もあるが、それが本当だとしたら、その理由の一端は、彼らが徹底的に消毒された環境に身をおいているため、体の内外のミクロの共生環境を崩されていることにあるような気もする。対症的に薬を飲む機会も多いだろうし、、、。
 
 そんな、およそ今の世間の常識から逸脱した生活習慣を持っている僕だが、このコロナ禍が訪れるまでは、自分が死んだ後のことを考慮して、息子の環境を自分があるべきと思うクオリティのものにすることを諦めていた。
 家の冷蔵庫にヘルパーさん達が使う化学調味料や添加物の入った食品類が並ぶことも受け入れていた。
 けれども、この「コロナ禍」をきっかけにして、僕は本来、僕が作りたいと思う食環境や住環境をより徹底させることにしたのだ。
 僕が死んでからのことは、その時点で変わればいい。それまでは、僕がベストと考える環境を息子にも与えたい、と思うようになった。
 外食を控え、それまでヘルパーやグループホームに頼っていた息子の夕食も、僕が自分で作ってから仕事に出るようにした。ガイドヘルプの関係でヘルパーさんがほぼ出入り自由になっていた自宅も、基本的に僕と息子以外は入れないような形に変えたのだ。
 ただし、断っておくけれど、僕は極端に狭量でストイックな人間ではない。外食する時は肉も魚もパンも食べる。息子も肉が大好きだ。
 生業である学習塾の方は三月いっぱいは従来の形で続けた。受験生がいたので、急にやり方を変えるのは控えた方がいいと判断したからだが、彼らが卒塾した四月から大きく指導方針を変えて、ほとんどこちらから教えることをしない「授業のない」形にした。
 およそ塾としての機能のない塾になったのだ。けれども、それは、ずっと求めてきた、より本来的な「教育」のあり方だと考えてのことだったし、実際コロナ禍という特殊な状況下ではあったけれど、僕には「機に乗じて」本来やるべき実践を開始した、という気分があった。
 
 つまり暮らしにおいても仕事においても、総じて、僕にとっての「コロナ禍」は、人生で訪れる契機の一つだ、ということだ。そして、今もそういう風に感じている。
 
 この世で起こることの全てが「契機」である、という思いはずっとあって、この「コロナ禍」だけが特別だというわけではない。
 けれども、今、僕個人にとってだけでなく、世界全体に向けて「契機」としての働きを前面に押し出しているという意味で、この事件はやはり「特別」なのだろう。
 
 
 しかし、今回の「第二波」に至る流れの中で、この「契機」はさらに深く、その意味を考えさせるようになっている。
 それをなんと呼べばいいのだろう。情報の混乱、ファクトとフェイクの戦い、いや、もっと有り体に言えば、この世は全てフェイクではないかというほどの迷いが、今の僕を捉えて離さない。
 
 新型コロナというこの感染症は、今のところ、いわゆる「見えない感染症」だ。確かに連日マスメディアに大々的に感染者数の増加が報道され、世界各国で悲惨な状況が続いている、という「数字」や「情報」は流れる。
 世界の情勢は政治、経済を含めて、あっけないほどあっさりとその機能をストップし、世界の様相はガラリと変わってしまった。いや、これから訪れる世界はさらにその度合いを強め、もはや再びこれまでの姿が回復されることはないだろう。
 
 それでも、依然として身の回りに、実際にこの感染症が現れた形跡はなく、あくまでそれらは「見えない情報」だ。
 それが全くの作り事であり、誰かの意図によって、作り上げられた巧妙で壮大なフェイクだ、という可能性も捨てきれない。
 
 このことで、僕が気づいたのは、僕たちは実際に目で見て肌で感じられること以外は、全て「信用ならない情報」に囲まれている、という事実だ。
 そして、この事実は、どれだけ時代が進歩して世界が急速にその距離を縮め、あらゆる情報が一瞬にして手元に届くようになっても変わらない。
 あらゆる時空にファクトとフェイクが同じ顔をして並んでいる。それが実態だ。真実だ。
 まるで映画「マトリックス」の中で、救世主となるネオが「赤いカプセル」を飲み込んだ刹那のように、あらゆる事実が虚妄であったと明かされたようだ。
 僕たちは、映画「インセプション」で、目の前の現実が、夢の中で見ている夢なのかどうかを確かめるために、「いつまでも回り続ける独楽」を携えておく必要がある。
 
 ここまで書いて、ようやく、僕には今、自分が取るべき態度と、踏まえておくべき心構えが見えてきた。
 一つはあくまで「自分で考え、自分で判断し、自分で動く。」ということだ。それ以外に「正しい」やり方はない。
 そして、そのために最も大切な心構え「気づいた時がベストタイミングだ」ということ忘れないことだ。もっと言えば「この瞬間がベスト」であることを忘れないことだ。
 情報で操ろうとするものは、自分の判断が間違っているという恐怖とともに、今ではもう遅い、という焦りを与えようとする。
 操られないために「気づいた今がベストタイミング」ということを忘れないこと。堂々と「自分の考えで動く」のだ。
 その時、僕たちは、本当の意味で、自分が世界を創っていることに気づくだろう。
 

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 我もまた一人を深く行くものとモチノキ倒しぬ抱くようにして
 

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醒めやらぬ深き夢なりこんこんと七転八倒くんずほぐれつ

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 父であり母ともなれど陽の落ちて共に興ずる友として寝ぬ

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五ミリずつ短くなりし右指の爪を伸ばしぬ古きギター出で来て

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「あやまること及びなぐさめの効用」

 ブッダヤショダラに応えて曰く
 
 私はもうあのときの私ではない
 
 私が謝ることであなたの何が満たされるのか
 
 あなたの怒りの矛先は
 
 私の透明の体を通り抜け
 
 あなた自身を射抜いている

有平糖虹色の形して有平さんが作ったわけではない

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「詩は」
 
 詩は
 
 夜更けに
 募る思いに
 正気を失い
 勢いで書いた
 ラブレター
 
 朝
 冷めた気持ちで
 眺めた日には
 
 間違いもなく
 破り捨てたくなる
 

「蜩(ひぐらし)」
 
 日暮れどき
 雨の降り止む
 束の間の
 蜩(ひぐらし)が鳴く    
 
 かなかなと
 かなかなと
 蜩が鳴く
 
 なぜこの虫の音が
「かなかな」と
 聞こえるのか
 
「かなかな」としか
 聞こえない
 この耳に    
 蜩が鳴く
 
 雨の降り止む
 日暮れどき
 かなかなと
 かなかなと
「かなかな」としか
 聞こえない
 蜩が鳴く
 

 「むさい男の法則」
 
 朝、洗面所に立つ
 目の前の鏡の中に
 むさ苦しい男がいる
 
 髭面で
 髪はぼうぼう
 
 かつてどこかで
 おなじ類(たぐい)の
 男に会った
 
 何人も
 何人も
 
 そういう類の男たちは
 みんな決まって
 心やさしい男だった
 
 少女のような
(これは希望的観測)
 やさしい心を持った
 むさ苦しさだった
 
 強がって
 肩をそびやかせて
 みるものの
 俯くと
 恥ずかしげ
 
 ちらり流す
 目の端に
 自信のなさが
 隠しようもなかった 
 
 目の前の鏡の中の
 むさ苦しい男も
 彼らと
 瓜二つだ 

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 人、熱き心もて人を殺める、また人、冷たき血にて人を殺める    

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「悪しき客観化」
 
 ものわかりの良い
 扱いやすい人間
 
 協調的で
 配慮の行き届いた人間
 
 そうなることが
 倫理的で
 道徳的で
 価値あること
 
 人は
 社会の中
 世界の中の
 ちっぽけな一人
 
 みんなと
 力を合わせ
 決められたことを
 きっちり守って
 生きていく
 
 悪しき客観の呪縛の下
 悪しき客観の教育の下

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 その疵に苦き思いのつもるやも燃し心の残るやも
 
 
 つけし人残せし人の隔たりは古りたる床の色深うして