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 記憶の引き出し
 
 例えばあなたの頭の中に
 記憶の引き出しがあるとする
 
 昨日の引き出し
 一昨日の引き出し
 
 その引き出しの中は
 さらに細かく仕切りがあって
 
 昨日の引き出しには朝8時の仕切り
 一昨日の引き出しには夜11時の仕切り
 
 2年前の引き出しもあって
 20年前の引き出しもある
 みんな細かく細かく仕切りがある
 
 中にはその引き出しを
 恐ろしくきっちりと仕切りを入れて
 恐ろしく正確に使える人もいる
 でもたいていは結構雑に使っている
 
 みんな適当に引き出しを開けて
 いい加減に記憶を放り込んでいる
 その日付のラベルも
 剥がれたりなかったりする
 
 それでもみんな頭の中に
 記憶の引き出しがあるんだ
 
 
 記憶の引き出しには
 まだ来ぬ時間の引き出しもある
 
 明日の引き出し
 明後日の引き出し
 来週の火曜の引き出し
 2ヶ月先の引き出し
 
 それにも細かく仕切りを入れて
 まだ来ぬ時間を分けている
 
 まだ来ぬ時間の引き出しは
 みんな結構きちんと使っていて
 明日の9時にどこそこに行くとか
 来週の土曜は誰それの誕生日だとか
 
 そうそして
「今」の引き出しもあって
 でもたいていの人はほとんど使わない
 
 
 想像してみてほしい
「時間を持たない人」は
 この記憶の引き出しが
 一つしかない
 
 彼には
「今」という引き出ししかない
 
 彼はありとあらゆる記憶を
 この引き出しに入れている
 
 昔の記憶は
 それほど邪魔にならない
 
 ずいぶん昔のことが
 でんと手前に居座っていて
 そればっかり思い出されて
 困ることもあるけれど
 
 普通の人もいい加減に使うから
 大した違いはない
 
 想像してみてほしい
「時間を持たない人」は
 まだ来ぬ時間も
 ここに入れるんだ
 
 周りの人はみんな
「まだ来ぬ時間」の記憶を
 やたらと使うから
「時間を持たない人」は
 困ったことになっている
 
 周りのみんなとうまくやっていくために
 彼の「今」の引き出しは
「まだ来ぬ時間」の記憶でいっぱいだ
 
 それが証拠に
 彼はしょっちゅう「いつ?」と聞く
 彼の部屋の可愛い女子の写真のカレンダーには
 丸や二重丸がたくさんついている
 
 なんとか「まだ来ぬ時間」の記憶を
 きちんと分けて使いたいのだけれど

 でも実際みんな
「今」の引き出しに入っていて

「時間を持たない人」の「今」の引き出しは
 まだ来ぬ時間で溢れそうになっている

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結論を導くために言葉を使う人へ
 
 言葉は果たして
 結論に至るために
 目的的な思考のために
 使われるのだろうか
 
 僕も含めて
 そのように考える人は
 
 言葉を
 そのように使おうと
 研ぎすまし精密化する
 
 発信者の意図を
 できる限り正確に
 受信者が受け取るように
 
 言葉という器に
 記号的な意味のみを乗せて
 それ以外の一切を
 盛ることを拒むのだ
 
 
 ところが
 例えば僕が
 死んだ妻の母
 つまり義母と会話するときなどに
 いつも思うのだけれど
 
 僕には
 義母の話す言葉の
 半分も理解できない
 
 今年九十になる義母は饒舌で
 天気の話
 近所の人の噂話
 主治医の悪口
 肉屋の店員の対応の悪さ
 などなどなど
 
 後で思い出すと
 概ねそんな話をしていたようだけれど
 
 話の前後関係はランダムで
 なぜそれを僕に話すのか
 僕が目と鼻のついた観葉植物でも
 おそらく全く構わなかっただろう
 といった内容だ
  
 僕はその会話の間じゅう
 ただ「はい」と「なるほど」を
 7対3の割合で織り交ぜながら
 首を縦に振り続けるのだ
 
 この会話の意味は何か
 その目的は何か
 
 それは
「あなた
 息子(孫)になんて格好をさせてるの
 あなたもまあ
 なんでその無精髭を剃らないの
 いいかげんそのくたびれた靴は買い換えたらどうなの
 ちゃんと食べさせなきゃダメよ
 周りの人から笑われないようにね」
 と言われつつ
「お義母さん体を大切にね
 こうしていつもあなたのことを気にかけてますよ
 いつでも電話してくださいね
 あなたの孫を連れて
 すぐに会いにきますよ」
 という思いを伝える
 言葉を介したボディランゲージなのだ
 
 だから
 僕を含めた結論を導くために言葉を使う人よ
 忘れてはいけない
 
 本当の意味は
 言葉の外にあって
 そちらの意味の方が
 表面的な言葉ヅラよりもよほど大切で
 
 世の中の大半の人は
 そういうふうに言葉を使うのだ
 
 

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焦ることと待つことについて
 
 長い間
 時間を持たない人と暮らしてわかったけれど
 彼は決して焦らない
  
 それは全く当然で
 焦るというのは時間に追われるということで
 時間を持たない人が
 時間に追われることはないのだ
 
 時間を持たない人は
 決して焦らなかったけれど
 待つのはとても苦手だった
 
 そもそも彼には
 待つということが理解できなかった
 
 それも全く当然で
 時間を持たない人には
 待たなくてはならない「まだ来ぬ時間」もなかったのだ
 
 ところが時間の檻の中で生きている人の話す言葉の半分は
 まだ来ぬ時間でできていて
 心も半分
 まだ来ぬ時間で埋まっていたから
 
 時間を持たない人は
 全くワケがわからないまま
「まだ来ぬ時間」を待つことになった
 
 時間を持たない人は
 とても饒舌で
 巧みに言葉を話したけれど
 いつも「言葉の半分」は
 わけが分からないままなのです
 

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 赤いという言葉は知っていて
 赤
い色を知らないように
 
 甘いという言葉は知っていて
 甘い味を知らないように
 
 その人は
 明日という言葉も
 昨日という言葉も知っていて
 それをずいぶんと正しく使うこともできて
 それでも昨日も明日も知らなかった
 
 その人の前には果てしない広がりがあったし、
 その人の後ろも同じようだったけれど
 それは時間の箍を外すように
 永遠と一瞬を一つにして広がっていた
 
 かたる言葉も全て
 まどう心も全て
 うつろう時間の牢獄の中にあって
 その広がりの中にはなかった

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 時間を持たない人
 
 あなたは知っているだろうか
 時間を持たない人のことを
 
 僕は幸いにも
 その人を知っている
 
 永く永くその人と暮らすうちに
 僕は気がついた
 その人は時間を持たないのだと
 
 初めのうち僕は
 いやずいぶん長い間僕は
 時間を持たないその人を
 ある感覚が失われているのだと思っていた
 
 例えば
 味わうことができないとか
 飛ぶことができないとか
 笑うことができないとか
 
 僕は長い間
 時間を持たないことは
 一つの欠落だと感じていた
 
 なぜなら
 その人はずいぶんと苦しんでいたから
 
 この人の世で
 時間を持たないことが
 どれほど不都合なことか
 その人は時間を持たないことで苦しんでいた
 
 あるとき
 僕の中に一つの考えが浮かんだ
 
 僕たちは時間の檻に囚われていて
 その人は檻の外にいる
 
 そう考えると
 時間を持たないことは
 何かの欠落ではなく
 むしろ囚われからの自由だった
 
 自由であることで
 苦しむ必要はない
 
 僕はそう思うようになった
 
 時間を持たない目でこの世界を眺めてみれば
 どれだけこの世界が窮屈なのか分かる
 
 僕は時間を持たないその人が
 なぜそれほど苦しむのかが
 少しわかるようになった
 

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あふむけに父の胡座に横寝して幼き我は髪洗われん

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 蛙のように生きる(Living as a frog)
 
 春から借りた田んぼには
 土色のカエルが五万といて
 畦を歩く足から逃げるように
 次から次へと田んぼに飛び込む
 
 その水音と水面にできる輪という輪が
 チャポンチャポンと重なって
 スイスイと泳いでは鼻先を空に突き出して
 すっかり脱力して浮かんでいる
 
 一羽の白サギがその音を聞きつけて
 隣のため池の桟橋のように浮かんだ倒木から 
 さっそく夕ご飯にあずかろうと
 遠目に輪の重なりを睨んでいた
 
 せっかく育った稲の苗を
 傍若無人に踏みつけて
 そいつは夕食の土ガエルを
 五万とたらふく食べるのだ
 
 カエルはそれでも実に無計画に
 見方を変えればすこぶる勇敢に
 明日乾いてなくなる水溜りにも
 せっせと卵を生みつける
 
 実際うちの玄関先の切り落とされた鉄パイプには
 溜まった雨水に浸かって
 これまた鼻先を空に突き出して
 明日を憂うこともなくちょこんと一匹暮らしている
 
 彼らを勇気があるとも
 あるいは無思慮無計画とも
 人の心を持つように想像してはならないと
 ベイトソンは言ったか言わなかったか
 
 打算と憐憫の狭間から遠く
 必死ではない一所懸命に
 脱力して空に鼻先を浮かべて
 蛙のように生きる

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 やすい道を歩こう
 
 ぬかるんで足を取られるような
 かたい道は歩かない
 やすい道を歩こう
 
 今の私で十分だ
 今の私はよくやった
 やすい道を歩こう
 
 足りないところを探すくらいなら
 うんとうんとうぬぼれて
 にんまりするよ
 
 えらい道をカンナンシンク
 歩いたって
 ちっともちっとも偉かない
 
 やすい道を
 スキップスキップランランラン
 
 走り方だって歩き方だって寝方だって
 サイコウサイコウ
 ああステキ
  
 なんでこんなに美しいんだろ
 なんでこれほどステキなんだろ
 
 笑いながら
 涙が出るよ
 
 笑いながら
 怒り出すよ
 
 笑いながら
 笑っちゃうよ

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方法論の限界
 

 方法が通じるのは部分的な状況のみだ。
 この生全般において、方法はあり得ない。
 なぜなら方法は「よりよく」という矢印を持った動きにしか通用しないからだ。
「よりよく」生きようとし始めた途端、人は迷路に迷い込む。
 出口のない迷路だ。

 方法とは自分以外のものだ。
 よりよく生きようとし始めた人は他人を真似ようとする。
 自分以外に理想を載せてしまう。
 人は自分ではない誰かさんになろうとし始める。
 それは「今」という、これ以外にない瞬間を否定することにつながる。
 自分自身の「今」を否定して、人はどこへも行かない。
 グルグルと偽りの自分をめぐる周回軌道を回り続ける。
 
 自分自身の「今」を否定してしまった人は、
 鏡の写し世である自分の世界を真似ようとする。
 そこに模範があると教えられるから。
 そこに範とすべき権威があると教えられるから。
 
 そうして人は鏡に映った自分を真似ようとし始める。
 実に滑稽で全く的外れに動き始める。
 人は「鏡の後追い」という不可能をやり始めるのだ。
 
 この世界を変えることはできない。
 ただ自分から動き始めることを学ぶ以外にない。
 なんの勝算もなく、予測さえ立たない、
 ただ自分の内側に素直に従う動きを始める他ない。
 
 何一つ真似ることなく、純粋に内側に湧くものに従って動いた時、
 初めて人生が動き始める。
 それは方法ではなく、ただ純粋なリアリティだ。純粋なクリエイティビティだ。
 そうして動いた時、そうして生きた時、
 人は初めて、
 この世界には何一つ変えるべきものなどないことに気づく。
 それはただ自らを写す鏡だったのだから。
 
 だから
 あなたは間違っている、と教えるものに気をつけなくてはならない。
 あなた以外にあなたの模範となるものを説く者を避けなくてはならない。
 あなたにあなた以外のものになれと説く者に背かなければならない。
 あなたの今を祝福しない者を遠ざけなくてはならない。
 

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至高体験
 
 田んぼ ドロ ミツグワ 剣先シャベル 田おこし 畦塗り 水口(ミナクチ) へび 蛙 オケラ 田うなぎ オンゴロ(モグラ)トラクタ 管理機 軽トラ 竹林 竹炭 土壌改良 無煙炭化器 畑 ジャガイモ スイカ なす トマト きうり 玉蜀黍 防獣ネット アライグマ ハクビシン カラス かぼちゃ さつまいも 里芋 畔豆 早起き 長靴 草刈り機 軍手 畔草 黒マルチ 藁マルチ 芽欠き 草取り 腰痛 五十肩 日焼け 朝風呂 ストレッチ 理想体重 交流 後継者不足 農業崩壊 地元 農暮らし 晴耕雨読 地域再生 教育 田植え体験 泥遊び コロナ ワクチン 経済崩壊 スローライフ パラダイムシフト 方舟 サステナビリティ 健康 治癒 生き物 共生