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 落伍者
 
 僕は降りた
 
 そのわずかにスピードを落とした列車から
 そのまま乗り続けることがあまりにも苦しかったから
 
 降り立ってみて初めて
 その列車は決して終着駅に着かないと知った
 
 僕の腹わたに仕掛けられた仕組みは巧妙で執拗だ
 気づけばまたその列車に乗っている僕がいる
 
 再び乗り込むことがないように
 再び走り出すことがないように
 鋭いナイフにして
 自ら腹に突き立てる
 
 深く深く
 落伍者の烙印を押す 
   
   


 
 
 

 目的のない生き方
 
 僕は知りませんでした
 目的のない生き方を
 
 それは
 ふしだらで不真面目で刹那的で無計画で自堕落な生き方だと思っていました
 
 走り続ける列車に
 生まれた時から乗っていた僕には
 それはまったくそのように見えました
 
 目的のない生き方はわかります 
 その列車から飛び降りて
 動かない大地に足をつけ
 落伍者になって初めて
 
 そこには決して焦りがありません
 期限を切られ達成しなくてはと思い込まされたものが
 もう微塵もない今
 まずは一杯おいしいお茶を召し上がれ
 
 まだその在り方に慣れない僕は
 誰の赦しもなくそうしていることに
 ときどきびくついたりするでしょう
 
 そう誰の赦しもなくです
 僕が僕でいることに誰の赦しもいらない
 
 ときどき途方に暮れるでしょう
 行く先がないことに
 動かないことに
 
 目的という行く先がないと
 なぜこんなに不安で落ち着かないことになってしまうのか
 
 そんな疑問を持つゆとりさえ失って
 僕は乗り続けてきました
 着くはずのない終着駅をめざす列車に
 
 まるで最後の直線に入った
競馬けいばうまのようにお尻に透明の鞭を当てられ
 脅迫の怒声に背を突かれるように
 焦りの海を泳ぐように
 届かないゴール目指して走り続けてきたのです
 
 
 ほどなく雨が降り始めます
 果てしなく降り続ける雨が
 しばし大地を隠します
 
 
 さあどうぞ
 この方舟に乗りなさい
 この方舟は帆を張らず櫂も持たない
 それはどこかの港に向けて出港するわけではありません
 それはただ今ここに浮かぶだけの方舟なのだから
 
 ゆっくりとお茶を味わい
 広い海原と仰ぎ見る天球の下で
 心と体を休めなさい
 
 再び大地に足を下ろして動き始めるときには
 決してものを考えないように
 勝手に体が動くまで何もしないでいるように
 
 痛いとかだるいとか
 そんな感覚に耳を貸さず
 軽々しく反応せずにただそれをそこに置いておきなさい
 
 やがて風が吹き体じゅうを満たし
 竹笛が鳴るように
 心が歌いダンスが始まります

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 効率がいい悪いとか何が正しい正しくないとか言ってると笑う
 
 
 父は言った教師にだけはなるな生涯でたった一度だけ命令口調で
 
 
 理科室の骨格標本のよう焼け跡に残った父の骨を拾う
 
 
 家に帰り夕飯を食い食器を洗ったがもう父はいない

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 父逝きし夜教室に一人いて天井ただ白く見上げ佇む
 
 
 仰向けてその行く先きを見遣る時霧の如くあり蝶の如くあり
 
 
 消える如く何一つなき軽さにて颯爽と逝くサンキューベリマッチ
 
 
 我生きなん我生きなんと応えたり消える如くに道を行くため

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 今日もまたタンク空っぽわだかまる君が心の憂さ流すなら
 
 
 
 人の世の倫より重し君が今水にて流す憂さの数々
 
 
 
 どこまでも甘き親なり君が声の道理超えたるを抜け抜けと聞く
 
 
 
 親子してはた迷惑に生きんとす迷惑が一番の禁の郷にて

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 猫とても犬においてもその不思議我が顔をこそペルソナと知れ
 
 
 顔こそが心の在り処と知るものは葉っぱを求めその恥部を覆う
 
 
 我が庭を壁にて囲い楽園とし葉っぱ一枚で年中暮らさん
 
 
 一切の期待を捨ててなお残る落胆を以て愛と名づくる

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 寅さんが大好きだって言いながらみんななりたくはないその寅さんに
 
 
 小人国に来たガリバーのよう俺が強いのか彼が弱いのか
 
 
 代掻きの田冷めざめと暮れかかり夕映えの鏡となりて空招き入れ
 
 
 コロナばかり取り上げる編集の妙結局我らはなぜ滅んだか

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 名づけることの考察
 
 ハイタカという魔法使いがいて
 彼の住むアースシーの世界では
 誠の名が力の源だった
 
 ハイタカは呼び名であって誠の名ではない
 誠の名は力の源であるという理由で
 大切に隠されてあったのだ
 
 しかし実のところ
 
 呼び名であるハイタカが
 力をもたないふつうの名前にすぎないのは
 それが呼び名とされ隠されもしなかったからだ
 
 誠の名もそのものに力があったわけではない
 まこととよばれ隠されることによって
 それは力を宿し力を増したのだ
 
 言葉は人の心をあやつる魔法のつえ
 名づけることの力は言葉に宿っている
 
 そしてそうだから
 言葉はおしみながら使わねばならない
 かくされながら使われねばならない
 
 そうして生まれた美しい言葉で
 人の心は美しくなる
 この世は美しくつくりあげられる
 

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 猫が懐くからと言って正しい人であるわけではないイヤホーンケースを失くしてばかりいる
 


 理由がないと正しい人にはなれない二回も続けてゴミ当番を忘れたのだから
 
 
 そういえばアイムソーリという言葉はすごく自分勝手ごめんなさいも
 
 
 自分勝手だから猫は美しい昼ごはんはレトルトのカレーで済ませる 

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 2020年5月27日
 桑原武夫の「第二芸術」読了。図書館から「現代日本文学体系ー74」を借りてきて読んでいる。並行して、小野十三郎の「奴隷の韻律」も読んでいる。(こちらは小野十三郎著作集の第二巻に収められている「短歌的抒情」の中にある。)内容もさることながら、対照的な二人の文体を楽しんでいる。
 桑原はよく知らない単語がいっぱい出てくる。その度に調べる。(昔はよく大阪の中之島図書館に行って、朝から夕方まで本を読んでいた。そのころは机の傍に辞書を置いて、首っ引きで読んでいたことを思い出す。今は、iPadで辞書もウィキペディアも駆使して目的の言葉をすぐに探し当てることができる。どれだけ時間が節約できるか。僕にとっては理想的な学習環境だ。)
 桑原は語彙的には難しいけれども文章自体は読みやすい。論旨も明確。それに比べると小野のは読みづらい。一文一文が長く、述語(結論)が後に来るので、意図を汲みながら読むのに字面を行きつ戻りつしなくてはいけない。悪文とは言わないけれど、読みにくいというのが実感。
 今、受験生と入試の過去問をやったりしているけれど、小野の文に比べれば、英語の長文もさほど難解に感じない。英語は構造的にまず結論が来るので、そこを読み違うことが少ないからだ。
 でも、読み慣れてくると、小野の文章は重層的で気迫がこもっていて、今まで遠目に感じていた印象とは随分違う。エネルギッシュでなんだか気分が高揚してくるのだ。もっと慣れてくれば、桑原の文よりもずっと深く心に響いてきそうだ。さすが詩人の文章だと感じる。
 まだ、両方とも自分の中でこれでオーケーというところまで読めていない。桑原の方は時系列に並んでいるいくつかの前後の文章が面白そうでそちらも読んでいる。「第二芸術」の前が「三好達治くんへの手紙」でこれは読了。改めて三好を読み直そうと思った。後ろは「芭蕉について」でこれは自分の芭蕉の知識ともつながってとても面白い。ちょっとしばらく桑原武夫を読み込みたい気分だ。
 小野の「短歌的抒情」も随分と読み応えがある。
 二人の短歌や短歌周辺への考え、姿勢には随分と違いがあって、桑原の主旨は僕の感じていたものと割と重なっていた。短歌そのものの文学的位置づけや価値についてはさておき、その短さからどうしても詩自体よりもその背景(詠んだ人、その人の組織内での立場等々)が、詩の価値に大きく影響することを問題にしているのだ。だから、短歌や俳句は短歌界、俳句閥という背景を作りもし、そしてそれに支えられもしている。
 桑原の「第二芸術」は大きな波紋を起こしたわけで、引き続き歌人や俳人の反論というか、文章を読んで見る他ない。
 一方、小野の「奴隷の韻律」は思っていたよりもずっとずっと根が深い。桑原の文章は短歌一般、俳句一般、短歌界、俳句界をその対象として書かれている。けれども、小野の文章はこれはもう、日本の文学界全体を敵に回すような文章だ。そして、ある意味僕は非常な共感を持って今、小野の文章を読み進めている。
 日本人の文章の中に「短歌的抒情」が蔓延しているとすれば、それは短歌や俳句という定形短詩のスタイルがもたらしたものではないということになる。むしろその言葉の少なさ、言外に託すスタイルが日本人の心の性根に「奴隷」が潜んでいるということを露呈させている、ということだ。
 小野はまだ途中だ。ワクワクしながら読んでいる。

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 身動き叶わぬほどの束縛をご縁と受け取れる日もある乾杯
 
 
 久しぶりに図書館に行くよくまあこんなにも書くことがあるのだ人は
 
 
 この頃多い人に言わせて頷くだけのマークシートの申し子のようなやつ
 
 
 教えることは難しいが教わることは十倍難しい生徒に恵まれている