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種落としカクタスのごと立ち尽くす紅き酸葉の無惨美し

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雨降れば種が芽吹くと言うけれど種をまくから降るとも言える
 

 人の頭は因果律に縛られている。常に出来事の原因と結果を明らかにしたいという根深い欲望だ。おまけに科学的な知識で固まっていて、過去から未来へという一方向的な時間の制約にも洗脳されているので、「雨が降るからその水分を得て、種は芽吹く」と考える。
 でも、たしかアメリカインディアンの言葉に「とうもろこしの種をまけば雨がふる」というのがあった。
 この春、苗代にお米の種籾を下ろした時、ずっと晴れが続いていてこの先十日も二週間も晴れ続きという予報だった。なので翌日たっぷりと水を撒いてやるつもりで車にジョロを積んでいった。でも、その日の予報はなぜか夜半から雨という風に変わっていた。いい加減なもので1日でガラッと変わるのだ、、、。
 そして次の日は大雨になった。それから三、四日ごとに雨が降ってとうとうジョロを使うことはなさそう。
 まるで種を下ろしたから雨が降ったようだ。そう考えれば僕は未来を引き寄せたとも言える。

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百均の群青色の小鉢には白菜菜花とタンポポの花

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 夕食を終えると毎晩、息子と一緒にワンステージだけビデオゲームをやることにしています。毎日少しずつ進んで最後のボスをやっつけるステージまで進むわけです。
 そのゲームはアクションとロールプレイが半分ずつの構成になっていて、アクションゲームは息子一人でもやれるのですが、字が読めないのでロールプレイの部分は僕がヘルプに入って進める感じになります。
 問題はゲームの始めにあるステージ選択の部分です。そこにファイルを消すボタンがあって、時々息子が一人でゲームをやろうとして間違ってそのボタンを押してしまうのです。それで次の日にゲームをやろうとするとそれまで進んだステージが全部消えてしまって、またいちばん最初からやる羽目になります。
 僕はそれまでの苦労(笑)を思い返して残念至極、しばらくゲームをやる気をなくしてしまいます。
 何度もそのボタンは押したらダメだ、と教えているのですが、どうしてもそれが覚えられないのです。
 
 ところがです。意気消沈の僕と対照的に、息子はまた嬉しそうに最初からゲームを始めるのです。
 完全な目的志向でゴールを目指すことしか考えていない僕とは違って、息子は目の前にいるお化けを吸い込んでしまうことや消えたドアを探り当てて復活させることに夢中です。
 

 何度でも崩れるたびに積みなおす賽の河原の石はとりどり
  

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なぜきみをこんなにすきかきみだけがこわがらないでぼくをみつめる

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学校や会社など、人が集まって何かをしている場所では時刻や日付はなくてならないものだ。
 テナントを借りて塾をやっていた頃は、講師の給料日や月末の集金日、生徒の定期テストや塾便りの締め切りなど、もっときっちりと意識していたはずだけれど、もうその感じも忘れてしまった。
 今はどこかに勤めているわけではないし、人と組んで決まった仕事をしているわけでもないので時間を気にする機会は少ない。それこそ「毎日が日曜」だ。
 
 先日、久しぶりに一日アルバイトをした。遠方で集合時間が早朝だったので、電車の時刻を調べたり前日から色々と準備をして、それだけで疲れ果てた。電車も超満員で会社勤めの人は毎日このストレスに耐えて仕事をしているんだな、と改めて感心した。
 そんなある意味自由で悠々自適の暮らしだけれど、それでも息子の通う施設が休みの土曜、日曜、燃えるゴミの収集日の月曜、木曜は忘れない。時々間に合わなくてゴミが溜まってしまうが、、。
 
 ああ、それとなじみのカフェでは必ず土曜のランチを食べるのが楽しみだ。


 七の付く日が定休の店に来て今日の日付に思い至らん  
 

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 今、なぜか韓流ドラマにハマっている。昨日見終わったのはネットフリックスの「ウ・ヨンウ弁護士は天才肌」というコメディタッチの裁判物。主人公のウ・ヨンウというのは自閉スペクトラム症を持つ弁護士。彼女が持ち前の驚異的な記憶力と集中力を発揮して裁判を勝ち抜いていく。自閉スペクトラム症特有の音に過敏であること、特定のこだわりを持つこと、他人の表情や感情をよく理解できないことなど、コミカルではあるがかなりしっかりと取り上げている好感の持てるドラマだった。
 彼女は鯨やイルカが大好きでその話題になると他のことは忘れて夢中になってしまう。そして難しい案件を突破するアイディアを思いついた時、前髪を軽やかに吹き上げる風が吹くのだ。
 恋人と手を握るのも57秒しか続けられない彼女がついには自分からキスを求めるシーンは名画にも匹敵する。
 実はウ・ヨンウを演じるパク・ウンビンという女優、高校生の頃の彼女に似ている。
 ちなみにヨンウの好物は海苔巻き。彼女の父親は海苔巻き専門の食堂を営んでいる。無性にキンパが食べたくなるドラマでもある。


 近づけばきみは香し早春のそよと吹きすぐ風の如くに
 

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ユズの木にユズの実なりきカキの木にカキの実なりきそばで火を焚く

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あふむけて父のあぐらに寝ころがり小さき我は髪洗われん
 
 夜、冷えた身体で布団に潜って身を硬くしながら思った。あの頃、なんと僕は小さかったことだろう。
 二歳から小学二年まで四人家族で団地に住んでいた。小さな台所と四畳半と六畳の和室。風呂があって木の湯船だった。
 五階建ての集合住宅、一棟に階段が三列あって一列の階ごとに玄関が二つ。一棟で三十軒の2Kの家。
 初めの頃は一棟のいちばん端の家の窓の外に木の台があって、その上にピンク電話あった。用があればそこに行って電話をかけたし、かかってきた電話はその家の人が呼びにきてくれた。
 小学校に上がる頃に団地全体に内線電話が付いた。団地の中に交換台があって交換手の女の人がいた。母が婦人会の会長をしていた関係か内線番号が1番だった。
 小さい頃僕はよく高熱を出した。そして悪い夢を見た。
 僕は近くの公園にいて家に帰ろうとしている。ふと見上げるとあるはずのベランダと窓が、僕の家だけない。壁だけになっている。怖くなって走って階段を駆け上がってみると玄関もない。僕の家だけなくなっている。そんな夢だった。
 
 そう、その2Kの家の内風呂の小さな木の湯船に父と二人、なんなら父と兄と三人浸かっていた。そして、父のあぐらに寝転んで、髪を洗ってもらった。
 あの頃、僕はなんと小さかったことだろう。

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無題
 
 頭の上の電灯を見上げていたら
 ときどき部屋中が淡い煙に満たされている
 魚を焼いた後でもないのに
 
 それはきっと
 空気を構成する窒素や酸素やアルゴンや二酸化炭素の
 分子が見える一瞬に違いない
 
 それらの分子は
 大変なスピードで飛び回っていて
 分子そのものも激しく振動しているのだから
 
 けぶったように見えるのは
 何兆分の一秒という
 瞬間を見ているのだ
 
 瞬間は光を発しているだろうか
 いや光さえとまって見えるくらいの
 短い時間なのだから
 
 光が目に届くわけがない
 どうやって見ることができるのか
 見ることの不可能の瞬間を
 
 だからこの世は夢に違いない
 毎夜夢を見るとき
 僕は光もなしにそれを見ている