あふむけて父のあぐらに寝ころがり小さき我は髪洗われん
夜、冷えた身体で布団に潜って身を硬くしながら思った。あの頃、なんと僕は小さかったことだろう。
二歳から小学二年まで四人家族で団地に住んでいた。小さな台所と四畳半と六畳の和室。風呂があって木の湯船だった。
五階建ての集合住宅、一棟に階段が三列あって一列の階ごとに玄関が二つ。一棟で三十軒の2Kの家。
初めの頃は一棟のいちばん端の家の窓の外に木の台があって、その上にピンク電話あった。用があればそこに行って電話をかけたし、かかってきた電話はその家の人が呼びにきてくれた。
小学校に上がる頃に団地全体に内線電話が付いた。団地の中に交換台があって交換手の女の人がいた。母が婦人会の会長をしていた関係か内線番号が1番だった。
小さい頃僕はよく高熱を出した。そして悪い夢を見た。
僕は近くの公園にいて家に帰ろうとしている。ふと見上げるとあるはずのベランダと窓が、僕の家だけない。壁だけになっている。怖くなって走って階段を駆け上がってみると玄関もない。僕の家だけなくなっている。そんな夢だった。
そう、その2Kの家の内風呂の小さな木の湯船に父と二人、なんなら父と兄と三人浸かっていた。そして、父のあぐらに寝転んで、髪を洗ってもらった。
あの頃、僕はなんと小さかったことだろう。
今日の短歌
今日の詩
無題
頭の上の電灯を見上げていたら
ときどき部屋中が淡い煙に満たされている
魚を焼いた後でもないのに
それはきっと
空気を構成する窒素や酸素やアルゴンや二酸化炭素の
分子が見える一瞬に違いない
それらの分子は
大変なスピードで飛び回っていて
分子そのものも激しく振動しているのだから
けぶったように見えるのは
何兆分の一秒という
瞬間を見ているのだ
瞬間は光を発しているだろうか
いや光さえとまって見えるくらいの
短い時間なのだから
光が目に届くわけがない
どうやって見ることができるのか
見ることの不可能の瞬間を
だからこの世は夢に違いない
毎夜夢を見るとき
僕は光もなしにそれを見ている