未分類

 世界中のどこを探したって

 世界中のどこを探したって
 こんな鳴き声でいいのか、と声を詰まらせる鶯はいない
 こんな走り方はおかしくないか、と立ち止まってしまう馬はいない
 こんな飛び方では笑い者になるしかない、と翼を畳む鴉もいない
 
 ただ人間だけが、

 そうして声を押し殺し、正しく走ろうとし、
 笑われるのだけはごめんだ、と世間の目を怖れるのだとしたら
 
 人の未来は暗澹たるものだ
 

未分類

 物書きについて
 
 思うに、優れた物書きとは、日に何万語も湧き出す頭の中のモノローグを、紙の上に記録する難行苦行を達成した人のことを言うのだ。
 その何万語も続くモノローグは、どこの誰にも当たり前に起こっていることで、大抵は大した意味のない、どうでもいい、けれどもその当人にとっては非常に意味のあるゆえに、ひとりでに湧いてくる独り言だ。
 数万人に一人、あるいはもっとひどい苦行者になれば、何億人に一人、そのモノローグを記録する術を身につける。
 
 我々が彼ら物書きの書物を読んで、深く心を動かされたり、時に涙を流したりするのは、彼らの心の声を読んで、自分にとってとても重要な自らの心の声を聞いたように感じるからだ。
 
 言葉の海に浮かび上がり、白い波頭となって語られる物語は、その物語性ゆえに、再び新たな意味を得て、また深い海底に沈んでいく。
 

未分類


 ストーリー、意味、理解について
 
 ストーリーとは話のことだ。
 話には筋書きがある。流れがある。
 流れとは、どこかしら次の展開に必然性が感じられるということだ。
 
 この必然性を感じる仕組みは、
 我々が意味を理解するためになくてならない。
 
 我々の頭脳は広大な言葉の海だ。
 その深い深い奥底で言葉は溶けて消えていく。
 
 言葉が溶けて消えていくために、我々はストーリーを必要としている。
 言葉が溶けて消えていくとき、我々は意味を理解する。
 
 「わかる」とは、我々の内側で、言葉が消えていくことだ。
 
 言葉は消える。
 そして、
 言葉の海の底に沈む「意味という砂つぶ」に変わるのだ。