今日の詩
「人生」
「今日」とキーボードに刻んでスペースキーを押せば
7つ目の変換候補に「2021年1月1日」と出る。
今日は2021年の元旦だ。
毎年大晦(おおつごもり)の日に、義母が二段重ねの重箱のお節を送ってくれる。
至ってこだわりがなく、堪え性のない僕たち親子は、今年はもうその晩のうちに、二人であらかたの料理を食ってしまった。
だから、元旦の朝に食うものがない。
普段、ほとんど肉魚を食わない僕が、義母が送ってくれる魚介類がメインのお節を食べると、味が濃いこともあって、決まって舌が荒れる。下半身がカイカイになる。
それと分かっていながら、目の前に並ぶそこそこ値段の張るおせちの重箱を開けると、ついつい箸をすすめてしまい、後でしまったと思う。
そこで僕は思う。(確か去年も思ったと思う。)
きっと人生のとどのつまりにも、僕は「ついつい」だらけだったその人生を振り返って「しまった」と思うだろうと。
けれど、それなら僕は、いや俺は、そのやってしまった人生を悔いて死ぬのだろうか。
いや、決してそうは思わない。何をやってしまおうが、やらずに終わろうが、生きることに成功や失敗はない、と思うから。
それはぶっつけ本番の舞台なのだから、何をとちろうと何をやらかそうと、それそのものが一つの人生なのだから。
生きることに目的はない。生きることが目的だったのだから。