2020年8月17日
もう75年前の「敗戦」の日を二日過ぎた。
フランス文学者の巌谷國士(いわやくにお)さんによると、日本語には「ずらし→現実離れ」や「流行表現」という症候(特性)があるらしい。
この「敗戦」を「終戦」と言い換えるあたりもそれで、半ば意図的な「言い換え」によって、果ては心底、都合よく「現実離れ」しようという魂胆に見える。
今回の「コロナ禍」もこの「ずらし」が横行している。つまり、現政権が行なっているように見える施策の何もかもが「ごまかし」「言い逃れ」と「頰被り」でしかない。正直言って、今の日本政府には、この疫病に対する全面的な施策を遂行する能力がない。
「全滅」を「玉砕」、「退却、撤退」を「転進」、最後には追い詰められて逃げ場が無くなった状況を「本土決戦」、そしてついには(ノモンハンの敗戦の責任を下級将校に押し付け、さらには捕虜となった兵隊達の厳罰を要請し、それを戦陣訓に「生きて虜囚の辱めを受けず」と刻んだ如く)民に対して「一億玉砕」と言ってのけた、その非情さ、無責任さ、厚顔さのまんま、現政権は意味のない「感染者数」を発表し続け、補償の抜けた「自粛」を要請し、「ウィズコロナ」「go to トラベル」「go to イート」と訳のわからない「現実離れ」を判で押したように繰り返している。
歴史が示す通り、戦死者と言われる人の多くは病死、餓死だった。負け戦をしらばっくれ続けた結果は、沖縄戦、本土空襲、広島、長崎の地獄だった。
この国の馬鹿さ加減は常軌を逸していて、文字通り、人々を地獄にまで連れていくのだ。
残念ながら個人的な経験の上でも、この世界はとても信用ならない世界だった。この歳になって僕には人や社会が「信頼に足る」という経験が不足していて、情けない話だけれど、自信を持って、未来の人たちに(つまり子供達に)人生は生きるに足る「美しい経験」だよ、と言えないでいる。
この国には「神風」が吹くらしい。それは要するに、自分たちの努力や苦心の成果を図る精神に欠ける、ということだ。全てはお天道さんに任せて、能天気にやってきたのだ。
その無邪気さが招いた悲劇を、もう二度と繰り返してはならない。
「お上」の無能を嘆く暇があったら、自らを助ける動きを始めなくては、、。
未来の人を「卑怯」というウィルスに感染させないために、、。
日記より