日記

 2020年7月7日
 
 依然として吉本隆明を聴いている。
 語り口は訥々として、ある意味要領を得ない。
 ネットで検索すれば、毀誉褒貶の多い思想家、詩人。
 最晩年に「福島原発事故」後、「『反原発』で猿になる」など、原発推進を表明するなど、物議を醸した。
 やはり原著に当たらねば、と図書館で全集の中、「共同幻想論」「最後の親鸞」とあと適当に詩集を見繕って5冊借りる。
 
 Youtubeで山本哲士という人のチャンネルを見つける。
 彼はずっと吉本を聞き書きし、吉本をフーコー、ラカンと並ぶ世界最高峰の思想家と評す。彼自身も教育その他諸々の泰斗
 その動画の中で面白いものを見つけた。
 日本語を英語やフランス語のような主語制言語と違って述語制言語として、全く違った論理性を持つものと解説している。
 山本さんはそこに行き詰まった世界思想の先を開く道を見ているようだ。
 もちろん、吉本の難解さと同様、山本さんの話の展開もまた、なかなか僕の理解が及ばない。
 僕は吉本の語りを「詩人の言葉」と書いたけれど、吉本の世界がこの「述語制言語の論理」で貫かれているとしたら、これは是非、吉本の思想を理解する鍵として、その一端であれ理解してみたい、と思った。
 さっそく、奈良の図書館の帰り道、近くの図書館に寄って、山本哲士の「吉本隆明の思想」を借りる。
 なんとなくの予感だけれど、小野の「短歌的叙情」、吉本の「大衆(の原理)」そして、この日本語の「述語制(の論理)」に一本のつながりを感じる。
 
 時に、今回の都知事選はポピュリズムの圧勝だった。
 権力者やそれに迎合する既得権益集団、マスコミに大衆は良いように操られ、(奴隷の)無知そのもののように見える。果たしてその底に、次元を超える「強かさ」のようなものが潜んでいるのだろうか。


 
 今日の短歌
 
 現世(うつしよ)のコロナのマスク明らめしこと目は欺く口元に素顔隠して
 
 吉本を抱えて帰る道すがら心を破(わ)ってというように咲く花石榴
 

 多い日は三度見かける散歩道の麗人我を見守る半神の仮すがたとする

 

Posted by hasunoza