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 2020年7月2日
 日記のようなもの
 夜、家に帰って息子に本を読んだ。「ぼっこ」という、なんだろう、お化けの話なのかな? ずっとシリーズで読んできた「妖怪一家九十九さん」と同じ富安陽子さんのお話だ。
「九十九さん」シリーズは少し低年齢向けだったようで、言葉遣いがとても易しいお話だったけれど、この「ぼっこ」は結構本格的な小説のように感じられた。まだ冒頭の一章を読んだだけだけれど、なかなか読み応えがあって、これから毎晩続きを読むのが楽しみだ。
 
 さて、本を読む前に洗濯をした。息子は毎日下着を何枚も履き替えるので、二日もすれば下着の替えがなくなってしまう。だから、ほとんど毎日洗濯をするのだけれど、今日、洗濯をして(というか洗濯機を回して)洗い上がった洗濯物を干していて、その時思ったのだけれど、僕は洗濯が好きだな。
 汗をかいて脱ぎ捨てたTシャツや料理の時に使ったフキン、タオル、まだ使い汚した記憶の新しい、それらの汚れ物が、綺麗になって、いい匂いになっている。それを丁寧に干すのが好きだな。
 アイロンがけはしないので、干すときにできるだけシワを伸ばす。襟をヨレヨレにならないように引っ張る。ボタンもかけて干す。ズボンの裾もパンパンとシワを伸ばす。今晩は2回洗濯機を回した。台所の奥の物干しが洗濯物でいっぱいになった。
 
 さて、大変なものを見つけた。このところずっと桑原武夫と小野十三郎を読んでいる。関連の文章を探していて、ネットで「J -Stage」というサイトを見つけたのだが、そこに中村完という人の書いた「小野十三郎・吉本隆明 -戦後叙情論批判」という評論があった。(僕が見つけた大変なものというのは、このサイトではない。)
 冒頭に「小野の主情的な問題設定を吉本が構造論的に解明するようなところがあった」とあったので、上と下、難しい言葉に閉口しながら読み進めた。あんまりわからなかったけれど、とにかくもこれは吉本隆明も読まなくては、ということになってしまった。
 吉本隆明は「共同幻想論」や詩を含めて、何冊か読んだ記憶があるけれど、すっかり忘れている。
 それでネットを探るうちに、大変なものを見つけたのだ。
 それは「吉本隆明の183講演」という「ほぼ日刊イトイ新聞」に収録されている、吉本の講演の録音だ。183講演、1960年台から2008年までの吉本隆明の講演のデジタルアーカイブなのだ。
 生きてる間に全部聞けるかな、というくらいのボリュームだ。
 今日は一番最初の「芸術と疎外」を聴いた。とても面白かった。
 そろそろ、桑原と小野の次の本を借りようと思っていたので、そのときには吉本隆明も借りることになりそうだ。
 この頃、塾では生徒を教えるのが主なのか、自分の読みたい本を読むのが主なのか、だんだんわからなくなってきている。
 
 もう一つ、この頃気に入って聴いている音楽。Ana Vidovicという女流のギタリスト、美人なだけか、と思っていたけれど、これは大変なヴィルトーゾだ。
 超絶の技巧派。ギターをまるでピアノのように弾く。彼女のように粒の揃ったシャープな音色は今まで聞いたことがない。間違いなくジュリアン・ブリームやジョン・ウィリアムス級のギタリスト。
 バッハはグールドのようだった。一番気に入ったアルベニスのアストゥリアスをどうぞ!