醒めやらぬ深き夢なりこんこんと七転八倒くんずほぐれつ
今日の短歌
父であり母ともなれど陽の落ちて共に興ずる友として寝ぬ
今日の短歌
五ミリずつ短くなりし右指の爪を伸ばしぬ古きギター出で来て
今日の詩、今日の短歌
「あやまること及びなぐさめの効用」
ブッダヤショダラに応えて曰く
私はもうあのときの私ではない
私が謝ることであなたの何が満たされるのか
あなたの怒りの矛先は
私の透明の体を通り抜け
あなた自身を射抜いている
有平糖虹色の形して有平さんが作ったわけではない
今日の詩
「詩は」
詩は
夜更けに
募る思いに
正気を失い
勢いで書いた
ラブレター
朝
冷めた気持ちで
眺めた日には
間違いもなく
破り捨てたくなる
「蜩(ひぐらし)」
日暮れどき
雨の降り止む
束の間の
蜩(ひぐらし)が鳴く
かなかなと
かなかなと
蜩が鳴く
なぜこの虫の音が
「かなかな」と
聞こえるのか
「かなかな」としか
聞こえない
この耳に
蜩が鳴く
雨の降り止む
日暮れどき
かなかなと
かなかなと
「かなかな」としか
聞こえない
蜩が鳴く
「むさい男の法則」
朝、洗面所に立つ
目の前の鏡の中に
むさ苦しい男がいる
髭面で
髪はぼうぼう
かつてどこかで
おなじ類(たぐい)の
男に会った
何人も
何人も
そういう類の男たちは
みんな決まって
心やさしい男だった
少女のような
(これは希望的観測)
やさしい心を持った
むさ苦しさだった
強がって
肩をそびやかせて
みるものの
俯くと
恥ずかしげ
ちらり流す
目の端に
自信のなさが
隠しようもなかった
目の前の鏡の中の
むさ苦しい男も
彼らと
瓜二つだ
今日の短歌
人、熱き心もて人を殺める、また人、冷たき血にて人を殺める
今日の詩
「悪しき客観化」
ものわかりの良い
扱いやすい人間
協調的で
配慮の行き届いた人間
そうなることが
倫理的で
道徳的で
価値あること
人は
社会の中
世界の中の
ちっぽけな一人
みんなと
力を合わせ
決められたことを
きっちり守って
生きていく
悪しき客観の呪縛の下
悪しき客観の教育の下
今日の短歌(つづき)
その疵に苦き思いのつもるやも燃えし心の残るやも
つけし人残せし人の隔たりは古りたる床の色深うして
今日の短歌
引きずりし跡残りたる床なれば亡きようにとは思はざりしか
奴隷の韻律を超えて、あるいは未来へのメルクマールとして
奴隷の韻律を超えて、あるいは未来へのメルクマールとして
小野十三郎は「短歌的叙情」の中で、徹底的に日本的な(あるいは世界的に)「叙情」を嫌った。
その「韻律(リズムのようなもの)」の中に奴隷的なものが潜在しているとして。
それは庶民=大衆を戦争に巻き込み、しかもこぞってその動きに熱狂した日本文化の担い手たちに対する大きな失望をその要因としていただろう。
無論、彼自身の個人的な生い立ちもそれを過剰にさせただろう。
けれども、吉本隆明が見なしていたように、日本の大衆は遥かに長い歴史の中で為政者という支配層を、それになびき馴致されるようでいて、決して心底絡めとられていたわけではない。
その心情はまさに「奴隷」のようでありながら、次元の違う部分ではるかに大きなものに属していた。
それは西欧で育った「個人」という単位で括れない、自他の区別を超えた境地のようなものである。
小野は個人は「憎悪」を焚き木にしなくてはならない、と思っていただろう。それは彼自身の優しい心根の底に巣食っていた「恨み」のようなものに根を下ろしていただろうから、それは彼の生きるエネルギーであると共に、大きな痛みでもあったに違いない。
彼はその刃の矛先を「短歌的叙情」に向けた。そのリズムにある惚けたような安穏さ、鷹揚さ、広さ、安普請の感動、、、。
けれども、敵は小野のパンチを受けながら、何一つ疵にはしなかった。
なぜなら、その底には個人の意志の薄弱さ、浅薄な教養という薄皮に覆われた巨大な無意志の海が広がっていたからだ。
吉本はそれを「大衆(の自立的課題)」と呼び、そこに時間を超えて通底し、世間的な関係を超越するものを希望として感じていただろう。
我々は「個人」を養わなくてなならない。疵、痛み、感情の歴史と淀みはその心に沈んで積もるからだ。
けれども我々は「個人を超えたもの」に開かなくてはならない。そこにしか安らぎと許しは根を張れないからだ。